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ヴェネツィア・マリブラン劇場 Teatro Malibran, Venezia

劇場データ

住所:Cannaregio 5870, Venezia

開場:1678年

初演:"ウェスパシアヌス"(パラヴィチーノ作曲)

芸術監督:イサーク・カラプチェフスキー(フェニーチェ劇場)

座席数:約900席

URL:http://www.teatrolafenice.it/

ヴェネツィアの街並み

水の都ヴェネツィア。比類なき美しさと伝統を誇り、いにしえの昔より世界中の観光客の憧れとなっています。サン・マルコ寺院を中心とする市内に車はまったく走らず、交通機関は徒歩、もしくは運河を走るヴァポレットと呼ばれる水上バス、モーターボートの水上タクシー、ゴンドラなどになります。歴史的には、まず11~12世紀ころに十字軍の東征の本拠地として、急激に栄え始め、海運王国ヴェネツィア帝国を立国、15世紀にはトルコ軍、そして宿敵ジェノヴァをも打ち破って、東地中海を掌握し、栄華を極めます。その後、オスマン・トルコの台頭によって次第に衰退をしていきますが、東洋と西洋の融合による独特の雰囲気や海と空、街並みなどは当時そのままで、今もって観光客を魅了して止みません。また、ヨーロッパの音楽史上、とても重要な地位を占めるヴェネツィア楽派が16~17世紀にヴェネツィア様式を確立、後世に多大なる影響を与えました。

マリブラン劇場の歴史

19世紀の伝説の大歌手、マリア・マリブラン(1808~1836)にちなんで名前がつけられたこの劇場は、1678年開場のサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場を前身とする伝統を誇ります。17世紀のヴェネツィアは、ヴェネツィア楽派の隆盛によって、16もの歌劇場が競い合ってオペラの上演を行いましたが、特にモンテヴェルディ(1567~1643)、ヴィヴァルディ(1678~1741)、ガルッピ(2456~1785)らが活躍しました。

そのような百花繚乱の中、1678年にサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ教会の裏手の、かつてマルコ・ポーロが所有していた跡地に建てられたサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場は、当時はヴェネツィアでももっとも重要な劇場でした。1835年、若くして世界中の賞賛を浴びていたスペイン人のプリマ・ドンナ、マリア・マリブランがベッリーニの"夢遊病の女"をこの劇場に歌った際、空前の大喝采を浴びました。彼女はその報酬をこの劇場に寄付し、それによってまもなく劇場の名前がマリブラン劇場と改称されました。しかし、1792年にかの有名なフェニーチェ劇場が開場してからは、しだいにフェニーチェ劇場がヴェネツィアの中心となっていき、マリブラン劇場はやがてクローズとなってしまいました。

1996年1月、フェニーチェ劇場が火災によって全焼失してしまい、フェニーチェ劇場の公演は、パラ・フェニーチェ劇場という名前で仮の公演を続けてきましたが、実際はトロンケット島という埋立地に巨大なテントを張っただけのものです。しかし、当然のことながら、サーカスのような巨大なテント小屋での公演は、音響などを望むべくもなく、遅々として工事の進まないフェニーチェ劇場に替わって、このマリブラン劇場を改修、2001年5月23日のオーケストラ・コンサートで再開場しました。そして同年9月からは、フェニーチェ劇場の公演のメイン会場となっています。

劇場

この再開場したマリブラン劇場ですが、900席ほどの天井の高い小さな馬蹄形のとてもかわいい劇場です。約360席のプラテア(平土間)の上の両サイドに3層のパルコ(ボックス席)、その上に一層のガレリア(天井桟敷)が乗っています。正面の中央にはパルコではなく、バルコナータという段差のついた階段席が数十席あり、それが2層になっていて、舞台がとても良く見えます。座席は淡いピンク色で美しく、舞台の上方には、マリア・マリブランの大きな肖像画が観客席を見守っています。 

このマリブラン劇場は、大運河で最も有名な橋、リアルト橋のすぐそばにあります。リアルト橋から暗い路地裏に入っていき、劇場の標識などもありませんので、いかにも地元の人達のための劇場、というちょっと寂しい感じがとてもいい雰囲気の劇場です。ちなみにリアルト橋はオッフェンバックの傑作「ホフマン物語」の第4幕の舞台として良く知られ、かの有名な「ホフマンの舟歌」の旋律が今にも聞こえてきそうなムード満点の場所です。 

オペラ・レポート

日時:2001年12月6日 20:00~

演目:リゴレット

作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ

指揮:アンジェロ・カンポーリ

演出:シュテファン・ブラウンシュヴァイク

キャスト:
リゴレット・・・アントニオ・サルヴァドーリ
マントヴァ公爵・・・ハヴィエル・パラショス
ジルダ・・・チンツィア・フォルテ
スパラフチーレ・・・エルダー・アリエフ
マッダレーナ・・・クラウディア・マルキ
ジョヴァンナ・・・アントネッラ・トレヴィザン
モンテローネ伯爵・・・ダニロ・リゴーサ
マルッロ・・・アルマンド・ガッバ


リゴレットといえば、1851年3月にフェニーチェ劇場で初演が行われた演目で、ヴェネツィアにとって記念すべき作品。空前の成功を収め、翌日にはゴンドラの船頭さんたちが、かの有名な"女心の歌"を歌っていた、なんてちょっと眉唾なエピソードも残っています。

今回の公演はブリュッセルのモネ劇場との共同製作による新演出でしたが(モネ劇場の初演は99年の6月)、さすがにシンプルでセンスのいい舞台になっていました。

話はちょっと逸れますが、モネ劇場と言えば、2001年までザルツブルク音楽祭の総監督だったベルギー人のジェラール・モルティエがヨーロッパを代表する劇場にまで押し上げたオペラハウスです。その手腕を買われてザルツブルク音楽祭が彼を招聘したのです。

さて、演出は新進気鋭のシュテファン・ブラウンシュヴァイク。赤・黒・白・茶などの原色を効果的に使うシンプルな舞台でしたが、この劇場であまり大掛かりな舞台は作れませんので、よくマッチしていたと思います。リゴレットの家は地下(奈落)に設定されていて、ジルダは舞台下からはしごを使って登場し、2幕1場の誘拐のシーンも舞台下から引きずり出される演出でした。3幕ではマントヴァ伯爵の「女心の歌」が終わると天井から釣りベッドがスルスルと降りてきて、その後マントヴァ伯爵を乗せたまま上がっていき、宙ずりのまま歌っていました。1つのアイディアとしては面白いかも知れませんが、パラショスは怖かったに違いありません。また、1幕冒頭でモンテローネ伯爵は棺桶を背負って登場し、その棺桶は舞台上にそのまま置かれ、悲劇のモチーフ、呪いの具象物としてうまく使われていました。3幕フィナーレの瀕死のジルダも通常の麻袋ではなく、その棺桶に入れられる演出でした。

歌手たちですが、若手中心で粋のいいメンバーでした。まずリゴレット役のアントニオ・サルヴァドーリ。彼はイタリア各地でキャリアを積んでいるバリトンで、2001年のフェニーチェ劇場来日公演の際も、「シモン・ボッカネグラ」のタイトルロールをつとめました。幅の広いとてもいい声を持っていますが、高音が続くと、やや下にヴィブラートがかかる傾向があって、この日もジルダとの2重唱などではやや厳しい場面がありました。また、一本調子な棒歌いになりがちな面もあります。大きな素質を持っているので、ヌッチ、ブルゾンの後継者を目指して頑張って欲しいものです。

ジルダ役はチンツィア・フォルテ。1991年にデビューしたばかりで、美しい声と容姿、確かなテクニックを兼ね備えたソプラノです。レパートリーもたいへん広く、ヴェルディやプッチーニはもちろん、コロラトゥーラもの、ベルカントオペラ、ドイツもの、フランスもの、バロック、現代曲までをこなします。2001年の年末から日本に初来日して、藤原歌劇団恒例の新春オペラ「椿姫」にも出演しましたので、これからは日本でも人気が出てくることでしょう。

マントヴァ伯爵は、フェルナンド・ポルターリに代わり、急遽の代役でハヴィエル・パラショスというスペイン・ヴァレンシア産まれの若手テノール。小柄ですが、強くてブリランテなアクートを持った好素材。さすがに緊張していたのか1幕ではかなり先走って全体のテンポを乱してしまったり、ブレッシングが不安定な場面もあったりと、テクニック的にはまだまだ甘いものの、かなり有望なリリコ・レッジェーロ。なかなかのハンサムでもあります。

主役の3人以外でも、スパラフチーレ役のバス、エルダー・アリエフ、マッダレーナ役のメッツォ・ソプラノ、クラウディア・マルキ、マルッロ役のバリトン、アルマンド・ガッバ、モンテローネ役のバリトン、ダニロ・リゴーサなどなど。それぞれレベルが非常に高く、本来ちょい役であるジョヴァンナ役のメッツォ・ソプラノ、アントネッラ・トレヴィサンなども素晴らしい主役クラスの声を聞かせてくれました。これら脇役と主役級の実力に差がないところに、フェニーチェ劇場の底力を見た思いがします。オケと指揮のアンジェロ・カンポーリは今一つでしたが、男性合唱はさすがの迫力で、名門劇場の面目躍如というところでしょうか。

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