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プラハ・スタヴォフスケー劇場 Stavivske Divadlo (Estates Teatre)

劇場データ

住所:Zelezna 11, Praha

開場:1783年

初演:"エミリア・ガロッティ"(レッシング作曲)

座席数:840席

URL:http://www.narodni-divadlo.cz/
※このURLは国民劇場のものですが、情報等は共有されています

プラハの街並み

百塔の街プラハ。チェコ共和国の首都として、また中欧の中心地として栄えてきましたが、ヨーロッパでは珍しく第2次世界大戦の戦火を免れたため、古い街並みがそのまま残る美しい街です。百塔の街、と名前の通り街中に塔が建ち並び、プラハ城や旧市庁舎の塔の上から旧市街を見下ろす眺めは世界でも類を見ない美しさです。チェコを代表する作曲家スメタナの交響詩"わが祖国"の第2曲「モルダウ」で有名なヴルタワ川(ドイツ語でモルダウ川)が、市内の中心をゆったりと流れ、最も眺めの良いそのたもとの小さな公園にはスメタナの銅像が川のせせらぎに耳を傾けています。プラハ城内の壮大なゴシック建築聖ヴィート大聖堂の黄金の門や絢爛豪華なヴァーツラフ礼拝堂、巨大な天井フレスコ画のバロック様式の聖ミクラーシュ教会、橋の両側に30もの彫像が建ち並ぶカレル橋、等々、町中が美術館のようです。チェコの首都プラハは東欧と思われがちですが、オーストリアの首都ウィーンよりも200kmくらい西に位置し、まさしく中欧の中心地というロケーションです。ベルリンの壁崩壊の余波を受け、1989年のビロード革命により、社会主義の政権が倒れ民主主義国家となりましたが、それ以降、街並みもだいぶ明るくなったようです。

プラハの音楽

プラハは音楽のたいへん盛んな町として有名です。かの名高い"プラハの春音楽祭"は毎年スメタナの命日5月12日に、彼の"わが祖国"で幕を開け、3週間ものあいだ街中が音楽に包まれます。スメタナのほかにも、彼の後継者ドヴォルジャーク、20世紀最高のオペラ作曲家の1人といわれるヤナーチェク、ノヴァーク、スークら、みなチェコの民族的音楽な匂いを感じさせる作曲家たちです。また、忘れてならないのはモーツァルトで、"ドン・ジョヴァンニ"と"皇帝ティトの慈悲"はプラハで初演されたオペラです。ウィーンであまり成功しなかったオペラ"フィガロの結婚"が大成功を収めたのもプラハで、交響曲第38番は"プラハ"と名づけられています。今でもプラハ市民はモーツァルトが大好きで、各オペラ劇場、コンサートホールでは常にモーツァルトの作品がレパートリーの中心を占めています。

スタヴォフスケー劇場の歴史

プラハには重要なオペラハウスが3つあります。1つは国立オペラ劇場(Statni Opera Praha)といって1898年のビロード革命前にはスメタナ劇場と呼ばれていた劇場で、1888年ワグナーの「ニュールンベルクのマイスタージンガー」で幕を開けました。現在では、外国のオペラを中心に上演しています。もう1つは、以前は国立劇場と呼ばれていた国民劇場(Narodni Divadlo)で、ヴルタワ川沿いにそびえ建ちます。1881年チェコ市民がオペラの自国語上演を熱望して建てられた劇場で、母国の英雄スメタナの"リブシェ"でオープンしました。しかし、その2ヶ月後炎上してしまったため、超特急で工事が進められ1883年に同じく"リブシェ"にて再開場しました。現在でもスメタナやドヴォルジャーク等、自国の作曲家を中心に上演されています。そして3つめがスタヴォフスケー劇場です。開場は1783年と他の劇場よりも100年も歴史が古く、世界中のオペラハウスの中でも、現存するものとしては最古の劇場です。1787年10月にモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」が初演されたという栄光の歴史を誇り、「フィガロの結婚」や「魔笛」も大成功を収めました。1791年には最後のオペラ「皇帝ティトの慈悲」も初演されました。開場当初は国民劇場と呼ばれていましたが、1799年にボヘミア貴族(チェコ語でスタヴォヴェー)に売り渡されその際にスタヴォフスケー劇場と改名されました。その後、ドイツ語のオペラ中心になったり、チェコ語のオペラ中心になったりしましたが、第2次世界大戦後、19世紀の劇場監督ヨーゼフ・カイェタン・ティルにちなんでティル劇場と名前が変わりました。そして、8年もの長い改修工事ののち、1989年のビロード革命後、1980年の劇場の再開場と同時に再びスタヴォフスケー劇場へと名前が戻りました。現在は国民劇場と同じ組織で運営され、モーツァルトの作品が中心に上演されています。

劇場

入り口は、これがオペラ劇場なの?と思わせるほど小さいですが、とても美しい劇場です。客席は左右の幅の狭い馬蹄形で、うすい緑と青の品のいい壁に金箔の装飾が施され、天井には、カメオ風の大理石が8つほど埋め込んであり、古き良き時代の劇場にタイムスリップしたようなような錯覚を感じさせる雰囲気です。座席は、プラテア(平土間)の上に3層のパルコ(ボックス席)、その上に2層のガレリア(天井桟敷)となっていますが、小さな劇場なので、天井が高く感じられます。正装の観客は少なく、セミフォーマルな服装やカジュアルな服装が目立ちましたが、演出に対しても歌手に対しても、とても暖かく、アットホームな感じのする劇場です。舞台上のチェコ語の字幕も、私には、まったく意味が分かりませんでしたが、好評のようでした。

オペラ・レポート

日時:2000年11月2日 19:00~

演目:フィガロの結婚

作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

指揮:オリヴェル・ドホナーニ

演出:ヤロスラフ・チュンデラ

キャスト:
アルマヴィーヴァ伯爵・・・ロマン・ヤナル
伯爵夫人・・・ヘレナ・カウポーヴァ
スザンナ・・・スデナ・クロウボーバ
フィガロ・・・ミロスラフ・ポドスカルスキー
マルチェリーナ・・・リブシェ・マローヴァ
バルトロ・・・ボースラフ・マルシク 


1994年10月8日に初演された演出ですが、あまりにもシンプルすぎるというのが印象です。1幕冒頭でフィガロとスザンナが新婚生活のベッドの寸法を計っていますが、舞台の上には正面にそのベッドがポツンと鎮座しているだけ。1幕フィナーレではフィガロのかの有名なアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」で幕となりますが、なんと1幕・2幕の間に休憩を入れないのです。そのまま2幕の冒頭は伯爵夫人の寝室になりますが、当然、1幕のフィガロたちのベッドがそのまま置いてあるだけで、非常な違和感を感じました。2幕・3幕の間にようやく休憩が入り、ほっとしたのもつかの間、3幕でも舞台転換はなく、同じベッドが中央に置いてあるだけです。伯爵のアリア「訴訟は勝ちと!」の書斎のシーンもベッドのまわりで歌うのです。4幕の庭にも引き続きベッドが置かれ、私も最後には呆れてしまいました。おそらく演出家はベッドを置きつづけることによって、男女の関係というものはいかに美辞麗句で固めようが、所詮はベッドの上で展開するもの、というようなことを表現したかったのでしょう。

歌手陣ですが、チェコの歌手中心で、私が以前から知っている歌手は1人もいませんでしたが、なかなか確かな歌唱と演技をみせていました。特にアルマヴィーヴァ伯爵役のバリトンのロマン・ヤナルは、良く鳴る美声を聞かせてくれました。

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